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回帰する国家主権:
『〈帝国〉』においてグローバル化の進展による国家主権の相対化が指摘されたにもかかわらず、2022年のロシアによるウクライナ侵攻や感染症の世界的大流行といった出来事を通じて、国家主権が改めて重要な政治課題として浮上していると指摘します。
著者は、「ネグリとハートによる当初の観測は現実によって主権国家の問題構成を改めて植え付ける出来事となった」と述べています。
グローバルな危機に対して、国家が再び境界を強化し、自国民の保護を優先する傾向が強まっていると分析します。
マルクスとシュミットの再評価:
20世紀のマルクス主義が国家体制を正当化する「共産主義的世界観」を作り上げてきたのに対し、本書は19世紀のマルクスが目指した無国家社会という原点を再評価します。
同時に、ナチス体制下で活動したカール・シュミットの主権論を批判的に検討し、彼の「例外状態」の概念が現代の政治状況において再評価されている現状を分析します。
著者は、1970年代のニュー・レフトがシュミットの政治理論に注目したことや、ジョルジョ・アガンベンが『例外状態』でシュミットの議論を活用したことを指摘し、「左派(ニュー・レフトと呼ばれ、共産党や社会民主主義などの議会政治を批判した)がその政治理論に注目したことで再評価され、現代思想や批判理論においてもよく言及されるようになった」と述べています。
資本主義と国家の関係:
伝統的なマルクス主義とは異なり、本書は資本主義を単なる経済システムとしてではなく、国家や政治制度を含む社会システム全体として捉える視点を強調します。
マルクスの「社会の経済学」批判を再検討し、経済の自律性を前提とする現代経済学とは異なる、社会全体への批判的射程を持つマルクスの思想の可能性を探ります。
著者は、「マルクスの『社会の経済学』批判は、狭義の経済システムを分析した学問として理解されてきた『マルクス経済学』とはまったく違って、たんに資本主義という経済システムを分析したわけではなかった」と指摘します。
「政治の自律性」から「自律性の政治」へ:
従来のマルクス主義における経済決定論や階級還元主義を批判的に捉え、労働者を中心とした社会変革の主体性に注目する「オペライズモ」や、国家からの自律性を強調する「自律性の政治」といった新たな視点を紹介します。
特に、イタリアのオペライズモの思想家であるマリオ・トロンティが、マルクスの「社会の経済学」批判を権力論として再解釈したことを重要視します。
著者は、トロンティのマルクス読解が「『我々は最初に資本主義的発展を考え、その後でのみ労働者の闘争を考えてきた。これは誤りである。始まりは労働者』という逆転の発想(労働者主義)」に基づいていたと説明します。
グローバルな戦争レジームと地政学:
冷戦終結後のグローバル化の時代においても、国家間の対立や紛争が依然として存在し、むしろ激化していると分析します。
ウクライナ戦争を「グローバル内戦」の一形態と捉え、複合的な危機が常態化する現代において、地政学的な視点の重要性を強調します。
著者は、冷戦後の「グローバリゼーション」の時代に、ネグリらの『〈帝国〉』がトランスナショナルな経済権力による国家の形骸化を指摘したにもかかわらず、「むしろグローバルなレベルで戦争を激化させた」と現状を分析します。
セトラー・コロニアリズムと反植民地主義:
現代の紛争の根源にあるセトラー・コロニアリズムの問題を指摘し、パレスチナ/イスラエル紛争をその典型的な例として分析します。
反植民地主義闘争の新たな形態や課題について考察し、グローバルな連帯の重要性を訴えます。
著者は、シオニズムをセトラー・コロニアリズムの一形態として理解する必要性を強調し、「ナチのホロコーストをきっかけに勢力を拡大させたシオニズムは、セトラー・コロニアリズムの一形態として理解されなければならない」と述べています。
「ラディカルな希望」の探求:
「終わりなき戦争」とも言える現代において、社会変革に向けた「ラディカルな希望」をいかに見出すことができるのか、本書は様々な社会運動や新たな理論的視点を通じてその可能性を探ります。
フェミニズム、環境運動、反人種差別運動など、多様な闘争の連帯を通じて、既存の権力構造に対抗する道筋を示唆します。